お金が一番
2018/07/23
裏切らず、持ち主を差別しない。男女を問わず、不合理な慣習を押し付けず、文化を強要しない。使うも使わないも自由である。
そして何より重要なのが、「一番大切なもの」ではないから、あらゆる人をその影響下に収めている。
キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も、ヒンズー教徒も、別のものを信じているが、お金だけは、皆がその価値を共通で信じている。
つまり、「お金よりも大事なものがある」からこそ、お金は最大の影響力を誇るのだ。
お金は、常に価値において二番手であるから、こだわりも反発も少ない。実際、「神の存在は信じない」という人は珍しくないが、「俺はお金の存在など信じない!」という人を、私は見たことがない。
お金の所有権を巡って争うことはあっても、「お金」の存在そのものは、争いの対象にならない。これこそ、お金が人類史上、最大の影響力を誇る、真の理由だ。
「お金が一番」は怖い。
しかし、最近では「お金の力が強すぎる」と感じる人が多いのも事実だ。
ハーバード大教授のマイケル・サンデルは、「あらゆるものをお金で取引できるようになると、市場が道徳を締め出す」と警告する。
二〇〇一年、『ニューヨークタイムズ』紙に、一風変わったサービスを提供するある中国企業の話題が載った。
誰か――仲たがいしている恋人や仲間割れした共同経営者など――に謝る必要があるのだが、なかなかその気になれない場合、この「天津謝罪社」に料金を払えば代わりに謝ってもらえるというのだ。
「あなたに代わってごめんなさい」というのが、天津謝罪社のモットーだ。
記事によると、謝罪の専門家たちは「地味なスーツを着た大学卒の中年男女だ。『すぐれた言語能力』と豊かな人生経験を兼ね備えた弁護士、ソーシャルワーカー、教師であり、さらにカウンセリングの訓練も受けている」。
天津謝罪社が成功を収めているのかどうか、あるいはまだ存続しているのかどうかすら、私は知らない。
しかし、その記事を読んでこんな疑問が頭に浮かんだ。お金で買われた謝罪に効果はあるのだろうか。誰かがあなたを傷つけたり怒らせたりして、お金で雇った謝罪人を償いのためによこしたら、あなたは満足するだろうか。
クライアントサービス部 荒巻
お金はすべての所有者に等しく優しい。